私は気功師であり、霊能者ではないと思っている。
ただ、霊など見えない存在を気の感覚で感じることはできるようだ。霊能者の友人といろいろを話を聞きながら確認をすると、つまりこれが霊なんだとわかるようになった。しかし、視覚で見え、聴覚で聴けるような人を霊能者とするならば、私は全く霊能者ではない。
霊能者という人は、その感覚レベルが並外れており、視覚的に光るとかそういうレベルではなく、霊の姿とかがそのまま見えてしまう。私はそういうのがないので、見たことはないが、子供の頃にはそれを見てしまう人がそれなりにいる。
うちの甥が小さい頃に大きな顔の幽霊を自宅で見ると言っていたが、弟夫婦が信じない質なので「おじさんだけが僕のいうことを信じてくれた」と言っていた。子供ながらに傷ついていたかもしれない。「東京にも大きな顔の幽霊なんて珍しくない、壁から出てくる奴だろう。退治しておくから。」などと言ってあげた
実家は一応浄化をしてておいたが、とりあえずそれ以降は聞いていない。子どもが”見える”というのはそんなに珍しいことではなく、親がそういうことをわからないとしても、バカなことと決めつけないことだ。
また、霊(とは限らないが)なんてものはどこにでもいるものだ。見えるから危険とは限らないので、実害が出てないようなら気にする必要はない。実害がでるようなら、信頼できる霊能者に相談をするのも一案である。
私がまだ気功などを知らず、見えない世界のことを世迷い事としていた頃の話。母が入院をしていた時に介護士として世話をしてくれたお姉さんがいた。母が亡くなった際に彼女は自分は霊能者であなたの横にいるお母さんが見えると言っていた。
それにドン引きをして、まったく信じることができなかった。彼女は子供の頃から霊が見えたり、降霊術ができてしまうようだった。ところが、その制御はうまくできず、見えなくするためには光るアクセサリーをたくさん身に着けたりしていた。降霊術に至っては勝手に起きることがあるらしい。お寺に嫁に入ったので、旦那と共に除霊を請け負ったりすることもあると言っていた。話がぶっとんでいて、それから連絡をしなかった。
今は連絡がつかないがあの時に母が何を言いたいのかを聞いておけばよかったと後悔をしている。
霊能者も熟練度が高いと、スイッチを切るようにして力の制御をして普段は見えないようにしている。霊だけではなく、神様とか精霊とかそういう存在とも会話をする人もいる。本物と偽物の見分けは必要であろうが、そんな人は実際にいる。
そんな人の話を聞くと、私は見えなくてよかったと思う。結構めんどくさそうなのだ。それに恐がりな私はビジュアル的にショックを受けるに違いない。ぐうたらな私には向かない。(笑)