人生は修行か?

私は若い頃から人生は苦、人生は修行と捉えてきた。人生には次から次へと嫌なことが起きる。それを苦労して乗り越える。

それは全部未来への投資であり、そのための訓練だと教わった。20代の頃まではそれでよいのだが、40代になるとありがたい未来など来るのかと不安に思い、50代になるとそもそも未来なんぞ来たことがないことに気づく。

いつもやってくるのは今であり、輝かしい”未来”になんぞ突入したことは一度もない。常に今を修行ととらえたら、一生苦しむことになりかねないと気づく。

人は”経験”を増やすために生きているようなものである。リストラも離婚もうつ病も立派な”経験”である。痛いのは当然だし、そんな目に会いたくもないのはもちろんである。

しかし、痛い目に会って気づくこともあって、その経験から得たモノはこそは値千金ではないだろうか。

人生を修行と捉えるとつらい前提である。その中に本当によかったことはないのか?人は先が読めない事に最も恐れを抱く。しかし、体験済みならそうでもなくなる。

借金、破産、離婚、親の死など諸々、好んでやりたい事ではないのだが、経験のない人にはとても恐ろしく、経験のある人には、嫌だけど想像はつく分恐れはなくなる。つまり、悪いことばかりでもない。

人生はつらいことをするの目的ではなく、体験してしまうと恐れを手放すことができるので、平安を手に入れるために様々な経験をするのだ。

インスピレーションはそう語る。