親不孝のパラドックス

ドラマ「みをつくし料理帖」の中で、佐兵衛という者が、「自分は親に顔向けのできない親不孝者で、生きている価値などありません」などと言う。

私自身も長い間、親孝行もまともにできず両親を亡くしてしまった事で自分を責めていた。

しかし、息子たちが生まれてくれて人の親にしてもらった事から、親の気持ちというものも解るようになった。

親というものは子にはどうであってもただ生きていてくれれば有り難いと思うものである。生きていてくれることこそが、最大の親孝行であると思う。子供達が10歳の時に学校で1/2成人式というのがあり、そんな作文を贈ったのを覚えている。

ただ、子に対してそう思っても、自分に当てはめて、自分を許すには大変な時間がかかってしまったのだが。

子は親孝行できていないと自責をし、自分は生きる価値などないと思うのだが、当の親は今まで生きて育ってくれただけで、十分親孝行だと思っていたりする。

これは大変なパラドックスであるのだが、人は人と意思が疎通しないことによる。本来、そこには何の問題もない。なのに、人はお互いの気持ちがわからずに悩む。

これをコミュニケーション不足と断ずるのは簡単だが、人の本質はそこにある。人は他人の思うことが意思疎通はしないものだ。

それを行うには大変な努力が必要なのだ。少しでも分かり合えるのは、大変な幸せなのだろう。