アサイチ 平川理恵さん

NHKの朝の番組で広島県教育長の平川理恵さんがゲストで出演していた。民間からの初の女性校長をされた方だ。彼女はリクルート91年入社である。民間初の校長にはリクルート出身の藤原和博さんがなったが、女性初もリクルートなんだと思った。藤原さんには在籍時にお世話になり、当時は新規事業を手掛けながら教育業界への問題意識を熱く語って聞かせてもらったことをよく覚えている。

平川さんの教育現場での改革のエッセンスにはリクルートっぽい発想、物事の捉え方、モチベーション管理などが垣間見える。営業だった同期に聞いたら、社内では優秀で有名だった後輩らしい。自分の息子が中学生になった時、教育現場があまりにも前時代的で社会に全く対応してないことに驚き、多様性に柔軟に対応していく改革の必要性があることを、私自身も切実に感じた。

平川さんは今までのやり方で乗れていく子は今まで通りでも良いが、それでは上手くやれない子にはなんとか居場所を与えてあげる必要があると主張する。そして昔からのやり方ではもう乗れていかない子が増えているのだ。その子とじっくりと対話をして、今何が彼のモチベーションを上げるのかを考える。まさにリクルート流のモチベーション管理だ。

我々の世代でも大人になって、メンタルを壊してつぶれていく人が少なくない。私もその一人だった。ここに来て自殺するご同輩も少なくない。その原因の一端は個人を無視した歯車を生み出す教育にあると個人的には思っている。

昔から教育現場はうまくいっていた訳ではない。私の学生時代は金八先生が人気となり片方で校内暴力激化の時代であった。教育者は自分がされて嫌だったことを子供たちにやっている。社会で生きるためにはそれが”必要”だからと言って。もちろん、教育現場の人たち自身もある種の被害者だという理解も持ち合わせている。教育には社会のひずみが色濃く噴出している。

リクルート流の考え方はその他の場所ではほとんど理解されないことの方が多い。全体が良くなるためには、立場など関係なく、どうアプローチした方が良いかを皆で徹底的に考える。そして、あきらめが極端に悪い。

自分の持ち場だけのことを考え、上からの命令を絶対視する軍隊式な縦社会とは違うネットワーク型社会を、35年前にはすでにつくっていた日本では珍しい環境がリクルートである。

平川さんの活躍を見て、自分も何か社会に貢献をすることをしないといけないと改めて思った。自分の中にあるものは、なかなか周囲に受け入れられなくとも間違ってはいないという感触を感じた。私は今までよのなかへの働きかけにあきらめを感じてきた経緯がある。

私の叔母には、そもそもあなたのように弱い人がリクルートのような強い人ばかりの会社に入ったこと自体が間違いだったといわれる。リクルートは声が大きく何者をも蹴散らす強い人が成功者になり、そういう人のための会社とだと彼女は考えている。

私の選択がが”間違い”でなかったと思っても、その時には言い返す適切な言葉が見つからなかった。リクルートは多様性を許す日本では先進的な社会であった。それが今の私に多くの気づきを得るための基礎を作ってくれたのだと改めて思う。

私はそんな環境で、そんな仲間たちと過ごせたことは”間違い”ではなかったし、良かったと思う。