数日前から女子プロレスラーでタレントの木村花さんが亡くなったというニュースが出ている。22歳の若さで、未来のある人が自殺したとすれば残念である。ご冥福をお祈りする。
ニュースを見ると明らかに自殺なのだが、自殺という言葉を報道ではあまり見ない。 テレビ番組のトラブルが元で亡くなった可能性が高いので、関係各所に不都合な連中がいるのでひどい忖度があるようだ。フジテレビの「テラスハウス」というリアル恋愛模様を描く番組で、木村花さんの言動がSNSでバッシングが起きていたという。それが原因であるならば、大手企業と一般SNSユーザーがタイアップをして、この若い娘を袋叩きにして殺したという風景が浮かんでくる。
私はこれが今の世界の悪い習慣の発露にしか見えない。同じようなことが学校、会社、ママ友グループ、近所付き合いなどあらゆる社会で起きている。容赦ない言葉の刃物で人を殺すようなことがそこここで起きている。
まず、木村さんがSNSのいじめで自殺に及んだと仮定した場合、自殺に追い込んだ犯人は次のようになると私は思う。
①SNSでバッシングを行った人
有名人だから、プロレスラーだから、自分の身近にいる人間ではないからと気軽にひどい言葉を送り付けた人間が殺したというのは間違いない。たくさんの心ない言葉がSNSで届いていたという。有名人とはいえ、日本中が敵になった気になるだろう。心が折れるのは当然だ。
②フジテレビとトヨタ自動車
フジテレビが視聴率を取るためには、どんなひどいことでも、どんな汚い手でも使うという風土がこのような惨事を生んだのは間違いない。もちろん、他のテレビ局も同じだろう。テラスハウスのディレクター、プロデューサー、その他のスタッフは、何を放送すれば何が起きるかは予見できていたはずだ。それを視聴率を取るためにはあえてやった。ドキュメンタリー風であっても、何を放送するのはディレクターが決める。木村さんが矢面に立って辛い目に会うことは予見できたのにあえて確信犯として放送した。このディレクター、そしてそうさせた企業風土がこのような惨事の責任者である。さらに、スポンサーがトヨタ自動車1社であるようにネットには書いてある。スポンサーが番組内容について、このような内容はダメだと言えば放送はされないので当然責任はある。少なくともスポンサーの広報部の人間には責任があるだろう。視聴率のためにはひどい事でもやるという信念で作られた番組自体をスポンサーとして許していた責任があるのは間違いないのだ。
③テレビの視聴者
私も含めたテレビの視聴者は番組をちゃんと選んでこなかったという責任がある。私自身は芸人が他の芸人をイジル番組が好きではない。他人が困っていることを皆であざ笑うということを”お笑い”としてきたのはいつの時代からであろうか。欽ちゃんは最後に必ず救いのあるオチをつけた。ビートたけしは他人を散々こけ下すが最後にはそれを自分にもってくる。他人をこき下ろして、言いっぱなしなのは、紳助、ダウンタウンのあたりからだろうか。彼らのお笑いには救いと言うものがない。その後のお笑い芸人は他人をこき下ろして、言いっぱなしのイジメを”お笑い”だとした。それを作り出していったのはテレビ局である。しかし、それを笑ってみていたのは”視聴者”だ。テレビ局は視聴率がとれるなら、人情噺でも公開イジメでもなんでも良いのである。テレビ局は極端に言えば、視聴率さえ取れれば、人がどうなろうがどうだっていい。売れればなんだって構わないのだ。それがたとえ公開死刑ショーであっても。マスコミのエセの社会正義を振りかざしよくやる事だ。だが、テレビ局は視聴者の見る方を向くだけの風見鶏である。テレビの視聴者が温かい番組を選ばないので、テレビ局がひどい番組を作り続けるわけである。
今の子供たちは、テレビを見て、「ああ、場を仕切る人間は人をイジメてもいいんだ」ということを学ぶだろう。生まれてこの方、もっと質の良い”お笑い”やエンターテイメントを見たことがないのだから仕方がない。
木村花さんを直接に殺したのは、フジテレビとテラスハウスの視聴者の一部かもしれない。しかし、我々大人が謀らずも作ってきてしまった社会が彼女を自殺に追い込んだ訳である。慙愧の念に堪えない。
私に大きなことができる訳ではない。しかし、私はテレビを観る時に短絡的な視聴率狙いの”くだらない番組”を選ばないようにしたいと思う。それが大人としての責任なのだろう。