暴力に暴力は×

テラスハウス問題で出演者への嫌がらせが止まないというネットニュースを見た。

木村花さんを死に追いやった責任はテレビ局、制作スタッフ、スポンサーなど関係者にあるのは間違いない。

しかし、再発をしないようにすることが重要であり、新しい犠牲者を作り出しては意味がない。他の出演者や制作スタッフにまた被害者が出るようなことがあってはいけない。

アメリカでデモや暴動が起きている問題も同じであろう。

黒人男性が白人警官に殺された。それはとんでもないことであり、警官には裁きは必要である。

しかし、それをネタに暴れて関係ない人々に危害を与えるのは意味がない。

さらにはトランプ大統領がそれに対抗して軍隊を差し向けるなどあってはならない。

ネット民にしても、暴徒と化す庶民にしても、自分のうっぷん晴らしをしているだけで、暴力に対して新しい暴力をもって、人に危害を加えたいだけである。

反省させるという言葉を人に罰を与えること、責任に対してつらい目に会わせることという闇の感情が人の根底にはある。闇を覗きこむと吸い込まれそうになるのは仕方がないのかもしれない。

罪を憎んで人を憎まず、使い古された言葉ではあるが、人間なかなか人を許すことはできないものだ。

そこをやれるようにするのが、生きる意味だと思いたい。そんな許しの力を身につけたい。