新大久保の韓国スーパーで買い物をした時に、レジの韓国人店員が何か言った。思わずムカついて「二度と来るか」と咄嗟に思った。
多分何かの説明をしたのだが、流暢でない日本語、マスク、感染防止用のビニールカーテン、騒がしい音楽のせいで内容が聞き取れない。ただ、その口調によりケンカを売られたと感じて反射的にムカついた。態度が横柄だったこともあるが、習慣の違う外人なんて元々そんなものだ。
後から考えた。そもそも、韓国語は語気が荒い発音をする。北朝鮮の国営放送を見てても、意味はわからないが、ケンカを売っているように感じる。
たぶん、店員は悪気はないのだろうが、母国語の話し方で日本語を話すだけで、それが日本人にはケンカ売ってるように感じる。言葉自体は日本語としては丁寧な言葉ではないだろうが、外人では仕方がない。
少なくともちゃんと聞こえれば、ケンカ腰でないことはわかったはずだ。
コロナウィルスの感染対策によって、最近は言葉が聞き取りにくいことがよくある。それにより、世の中では余分なコミニケーションギャップや揉め事が起きているのだろう。
それは異民族間に限らず、日本人同士でも気をつける必要があるのだと思い直した。こんなことは普段は考えなかった。
コロナ禍は様々な問題を人に投げかける。
アメリカでは人種問題が表面化している。挙げ句はネイティブ・アメリカンを虐殺したところまで掘り下げてコロンブス像を破壊し始めた。
ヨーロッパから来た白人が虐殺により略奪した大陸であるというアメリカにとって蓋をしたい過去も正しく認識される時代が来るのか?
トランプ大統領のように自分に都合の良いように力ずくで好き勝手をしようとするオールドタイプと互いに理解し合い助けあおうとするニュータイプの人間がいるように思う。
今まではオールドタイプが圧倒的に多く、力があったが、ここに来てニュータイプが増えてきたのかもしれない。
もっとも、デモをして、略奪や破壊をする黒人もまたオールドタイプである。自分のことしか考えてはいない。
非暴力で訴えている人々とは一線を画す。ニュータイプは共感性が高いのだ。むしろ、白人の中にも黒人のことを理解しようとする人が現れているのがそれを示唆する。
今、コロナウィルスは人類が体験した事がない精神世界に連れて行こうとしているのかもしれない、などと思う。