繊細さん(HSP)

HSP(Highly Sensitive Person)、とても繊細な人と呼ばれる概念を本で読んだのはもう4-5年ぐらい前だろうか。エレインNアーロンが最初に提唱した考え方だ。

最近、HSPはyoutubeやテレビなどで”繊細さん”という言葉で紹介されるようになった。生まれつき繊細で、他人の感情への感度が高い人。直観力が優れており、傷つきやすい。それが先天的だというのだ。

アーロンによれば、5人に1人はHSPだという。日本人はとりわけHSPの比率が高いといわれている。日本人が世界でも稀なおもてなしが得意なのも、HSPの比率が高いせいかもしれない。

日本社会では他人の顔色を伺うことをある意味で強要されてきたので、人の気持ちを察する感受性が高いのだろう。

私自身もたぶんHSP、つまり繊細さんに分類されると思う。

繊細さんが20%ほどいると言われるので、他の80%は非繊細さんである。ちょっとした言葉に傷つく繊細さんに対して、それを非繊細さんはまったく気にしない。

例えるなら道を歩く時に、ススキの穂が脚に当たることも気にする人もいれば、木の枝が当たっても気にしない人もいるし、太い木の幹に脚をひっかけても平気な人もいる。人が自分の感性と全く違うという事実に気がつくとその差の大きさに驚かされる。

これは感覚の”違い”であって、どちらが正しいというものではない。ただ、社会ではよく多数決の論理が勝つために、マジョリティが正しく、マイノリティが無視されがちである。多数派の非繊細さんからすれば、「なんでそんなことが気にするのだ?」ということになる。

HSPは書いて字のごとく、感受性の高い人であるため、メリットとしてはきめ細かい心遣いができたり、いろんな分野で人がわからない違いを感じ分けたりする。それは才能といえるが、感度が高すぎるとノイズを拾って、生きづらさを感じてしまう。

「鈍感力」という本が以前に出版されたが、適度な鈍感さが生き易さを守るのは間違いない。ただ、生まれつきに繊細だと都合よく鈍感さを身につけられるものでもない。

繊細であることをダメだと否定し、なんとか鈍感さを身に着けようとすると精神的には大きな負担となる。私自身も散々そうやって自分をいじめてきた。

自分は生まれつき繊細であることを受け入れて、非繊細さんとは同じことをしようとはせず、強すぎる刺激を避けるようにする方が精神的負担は少なくてすむ。

彼にできるので、自分でもできるだろうと思うのはある。他の人がしていることが自分にはできないというのに引け目もある。しかし、反面で自分にはできて、他の人にはできないこともあるのだが、そこはよく無視してしまう。

できないことにチャレンジはした方がよいが、できないものは仕方がない。どこかでそう腹を括るのも必要だ。

若いうちは今日できないことが明日にできるようになることもある。若い時期は能力が拡大をしていくので、すぐにあきらめるのはもったいない。しかし、トライアンドエラーを重ねてもできないこともある。

そんな時には、ああ自分はそういう人なんだと受け入れることも重要である。自分でやるだけやってみたと思う人は作戦を変更をして、逃げるが勝ちと思うのも悪くはない。