1/1,000,000の人材になれるか

よのなかnetの藤原和博さんのオンライン講演会を見て、100万人に一人の人材になるにはどうするか?というお話を伺った。今はZOOMでいろんな講演会があって便利だ。

藤原さんが昔リクルートの新規事業開発室にいた時に末席で薫陶を受けたのだが、相変わらずキレのある鋭いご意見には脱帽である。

10年努力して100人に一人の人材になる。次の10年で別の分野で100人に一人の人材になる。さらに次の10年で別の分野で100人に一人の人材になる。人それぞれで、経験をすることは違う組み合わせになるのだから、3つの分野で100人に一人の人材になれば100万人に一人の人材になれるという。1/100×1/100×1/100=1/100万である。

スポーツにしても、ビジネスにしても、ひとつの分野で100万人に1人の人材になるには才能も努力も運も必要で、そこにはトップに立てない人の屍を積むことになる。上には上があり、ほんの一握りの人にのみ許されるの道だ。

しかし、100人に一人の人材になら10年努力すればなれるという。もっとも、藤原さんのいう100人に一人というのがそんなに生易しいものを指しているとは思えないが。(笑)

たしかに3つの分野でそれなりにやった人であれば、そこから独自の発想はでてくるし、組み合わせが面白ければオリジナリティのある人材になれるだろう。

時給を決めるのは希少性であると論ずるが、たしかに資本主義社会の中で価値は需給関係で決まる。それは最近のネットオークションでも、アマゾンの価格も、人材の価値でも同じだ。絶対に必要な技術で、それをやっている人がほとんどいないとなれば、おのずと時給は跳ね上がる。

日本の教育では他との横並びで、平均的な人材を作ることに主眼を置かれている。つまり、交換可能なコモディティな人材を作っている。もともと、目指したのが部品としての兵隊さんをつくるための教育である。

これは資本家にとってはとても便利である。なぜならば彼らにとっては、大衆は消費の受け皿と交換可能な労働力でなければならない。自分の立場を脅かすような特異な人材など不必要なのだ。大変エゴイスティックは発想であるが、ある意味生存本能丸出しの素敵な発想だ。教育の場が彼らの意向を受けた洗脳の場になっていることは否めない。

ところが希少性の高い人材になろうとすると規格外で人がやらないことをする必要がある。みんなと同じことをしていてはダメなのだ。これは日本人が苦手とすることである。同調圧力が著しく高い文化であるゆえだ。

その結果、普通に学校で教わったことを一所懸命にやっていると、時給がどんどん安くコモディティな人材になってしまう。せっかくの高学歴で優等生でも、どんどん使い捨てになってしまう昨今、それを痛感せざるをえない。

就活のマニュアルを丸暗記をして、「御社の〇〇に感銘を受け・・・」なんて志望動機を言っていてはどうにもならない。これは平凡で面白みのない私自身にとって全くもって耳が痛い話だ。

3つの分野を組み合わせてという所はすばらしい。その3つの組み合わせは人によって違うので、たくさんのバリエーションをもつ。それを極めれば、独特なオンリーワンとなれるだろう。

10年ずつ3分野で30年の修練をすることで、それを活かせば確かにオンリーワンのサービスを生むことができるかもしれない。それは藤原さんのように30年という期間を意識高くやってきた中高年か、これからの30年を計画的に意識高く過ごそうとする若者には役立つ話である。

ただ、失敗だらけで既に30年を過ごした私にどう活かすのかは課題がある。30年間を様々な失敗をしてなんとか乗り越えた。100人に一人の人材と呼べることがあったかどうかもわからない。

ただ、紆余曲折の結果、さまざまな苦難で磨かれた自分はいる。これはある意味、失敗を重ねた人の方が有利かもしれない。ただ、その中で何が世の役に立つのかが正直よくわからないのはある。

才能を発掘するにはいろいろとやってみるしかない。やってみて初めてそれが得意か否かがわかる。100のことをやって99が苦手だとすると、それが自分の才能ではないことがわかる。

100のことをやらないとそれが才能があるのか、ないのかは判別がつかない。私は自分が苦手でダメダメである事が多いのはわかる。それはそれで貴重なのだ。

30年間ダメダメであったとしても、自分の好きなこと、やっても苦にならないこと、あまり練習しなくてもできてしまうことの1つや2つは見つかる。その才能を3つ組み合わせて、できることはないだろうか?と考えてみるのは良いのかもしれない。

日本有数のとか、世界の〇〇とかにはならないだろうが、ニッチな世界では食っていけるのかもしれない。

自分の力を活かして、誰かが幸せになるような仕事をしたいとは思う。どんな仕事にも恩恵を受ける人はいるものだが、それを自分が感じられるか否かはまた個人差がある。

世の中に賞賛をされる仕事であっても、自分自身が『いいね』と思える仕事でなくてはあまり意味はない。少なくとも幸せになるという側面からは。

1/100万人の人材になれないかもしれないが、自分が得意なことを3つ組み合わせてできることがないかを考えてみよう。能力があるかどうかはわからないが、私にはきっと運はある。(笑)

気功師は運を操るのだから。(笑) お後がよろしいようで。