幽霊とサイコパス

一つ前の記事に幽霊と孤独に過去ばかりを見ていると生きたままで幽霊のような存在になるのではないかと書いた。

少し傾向は違う話であるが、サイコパスの人をリーディングすると生きた気を全く感じとれない。幽霊とちょっと違うのは、邪気すらない、無色透明な生命反応の無い生き物に映る。目の前で動いているのを確認してすらも、である。

以前からなぜそんな風に感じるのかさっぱりわからず、謎として不思議に思っていた。そう、まるでゾンビ(動く死体)のような波動に感じられるのだ。

サイコパスというのは感情が薄く、自分の事しか考えない人たちのことである。彼らは他人といても、実は孤独の檻の中におり、さらに孤独などまったく気にしない人間だ。彼らは孤独感は面白味がないという意味で嫌うが、孤独であることに苦痛は感じないのだという。なぜなら、人を思い、人に思われたいという必要性が概念として欠損している人々だからだ。

サイコパスがまるで幽霊のように、孤独の檻の中にいる感情の薄い存在であれば、それにより生命の気を無色透明にしているのなら、非常に合点が行く。

これが、ふと思いついた仮説である。これが正しい保証などないが、私が感じる世界ではそれで結構な説明になる。

当然だが、サイコパスの人々も生きているので、新しい体験により記憶は積み重なる。ただ、感情が薄いということはその面の積み重ねはやはり薄いのかもしれない。そこに何か生きている気の反応がでない秘密があるのかもしれない。

これはあくまで私から見た仮説であり、想像でしかない。