バリバラ 死生観ラジオ

NHKのバリアフリーバラエティという番組だが、すごいテーマが目についたの初めて見た。死について扱うテレビ番組というのは珍しい。

意見をする人が脳性麻痺の人だったり、がん患者だったりするので、かなりヘビーな内容だ。アルボムッレ・スマナサーラ師も出ていた。

私は、うつ病がひどくなって廃人同様だった時期が数年ある。その期間は毎日、「死にたい」「生きている価値がない」「死ななきゃいけない」という思いにさいなまれた。

それでも、死ぬ勇気もなく、自分が死ねば家族の心に大きな傷を残すと考えて、一線を超えることはなかった。抗うつ剤の型が合うまでに2年ぐらいは要したが、抗うつ剤が効き始めてやっと希死念慮を遠ざけることができた。

その頃のことは記憶も断片的でよく覚えてはいない。幾分でも回復してきてからは、「死」について考えることが多かった。

人生の前半は順調に行っていたのだが、30代に入って人生が思い通りになっていないことが『完全な自分』でないことで、極端な自己否定に振れたこともあったとは思う。人生の意味は現世での成功だと信じていたという事だ。

今でも、心の中から「なんで生きていんだろう」という問いは常にやってくる。私の独自な答えとしては、「生きること自体にあらかじめ与えられる意味はない」「達成すべきハードルもなければ、すべきこともない」「生きる意味は生きていること自体」などと思っている。

これらは長年、自分と問答をした結果で湧いてきたインスピレーションである。生きる必要もないが、わざわざ死ぬ必要もないので、あとせいぜい50年もない期間であれば生きていればいいよね、という感じである。

人生にはつらいことばかりなので、死にたいと思うことはあるが、この川の流れは早かれ遅かれ死の大海に行きつく。特に急ぐ必要もないし、死ぬことは極普通なことである。実はいつ死んでも不思議ではないからだ。

今、大地震が起きて死ぬかもしれないし、自宅に車が突っ込んできて死ぬかもしれない。ただ、たまたま今それが起きていないだけなのだ。

そんなインスピレーションに納得はしているのだが、死が怖くないわけではない。なぜかといえば、いくら魂が永遠の存在であるとしても、自我は今世のみの存在である。死ねば自我は消滅を意味する。自我から見れば死はマジ怖いのだ。今世を生きるフロントインターフェースは自我であるので、本能的に死は怖い。

とはいえ、以前に比べれば死が怖くはなくなったような気はする。

日本の社会では死というテーマはタブー視しすぎる傾向がある。普段、これほど死を目の当たりにしない時代は日本の中でも珍しい。

近所の人が死んだとすると、昔なら隣近所の人は葬式の手伝いをして、参加もした。葬式も自宅でやっていた。父母の葬式をした時代もまだそうだった。

以前に、町内の組長をしていた時、近所で亡くなった人がいたことをその家の人から連絡が来た。通夜も葬式も全部終了をしてしばらくしてからだ。葬式をすると組費から香典を出すことにしていたので、それをくれというのだh。

所が、葬式は自宅でなく葬儀場で行ったし、葬儀の前に連絡もなかった。自宅で葬式をすれば気が付くが、葬儀場なら連絡がこないと把握はできない。

そのおじいさんは長年病院にいて、会ったこともない。ご近所付き合いが極端に少ない昨今、近所の葬式に出る機会などない。組長としては香典を出すことのエビデンスを得ることすら困った。さすがに、戸籍除票を出してくれとは言えなかった。

私自身、葬式に出たのは小学生の時に祖母の葬式に出て、次は20代後半の時に父母の喪主をすることになる。他に葬式には出たことがなかった。2回立て続けに喪主をやって葬式には詳しくなったが、喪主をする前は葬式とは何かすら考えたことがなかったのだ。

昔のように近所のおじいさんが死んで葬式に出て焼香をする、祖父母の葬式にも参加して自宅で見送りをするなどの経験を経て、子供の頃から死について考える機会がある方がたぶん健全だと思う。

今の日本は死から目を背け、年寄りが若作りすることばかりに血道をあげている。実はかなり異常な状態であると私は感じている。

60を過ぎると急に周囲が死んでいくことになり、葬式に参加する機会が増える。そこになって初めて死に向き合うのでは遅いのではないかと思う。

死を考えると、嫌が上でも生きることを考えることになる。立派な自分でなくても、完全な自分でなくても、何が欠けても、老化でできないことが増えても、生きているだけでいいじゃないか、そんな風にインスピレーションは語る。

もちろん、私自身はそれが完全に受け入れられるほどの達観などできるわけもない。 

片方では、死について考える時期が早くても遅くても良いとは思う。人には時機というものがある。それを考える時期は本人にあった時期があるはずなのだ。早い方が良い訳でもない、悪い訳でもない。実はこの世に良いも悪いもないのだから。