サイコパスは運気の特異点

ある地方自治体の首長についてパワハラがひどく、職員から反発がされているという話を聞いた。

その人はリーディングでは運気は良さそうに見えるのだが、話を聞くとそうとは限らない。

他人からはその横暴さからアスペル君と揶揄されていると言うが、その認識は間違っており、それはアスペルガーではない。

アスペルガーは人の気持ちはわからないが、罪悪感はあり、自分の感情もある。他人に酷い事を平気にできるのではない。

それはサイコパスである。

サイコパスは、息をするように嘘を吐き、良心も罪悪感も持たない。他人に平気で酷い事をするが、自分が悪いことをしているという自覚もない。

このような人は運気の読み方も特殊で、罪悪感がないということは、恨み、辛みへの共感性もないせいか、他人からの怨みや生霊をなぜかスルーしてしまう。波動的にも恨まれても平気なのだ。

そのため、運気を読む時に妙に嵩上げされて感じてしまう。サイコパスの正しい運気の読み方はまだ私自身確立できてはいないが、一般よりは目減りして読む必要がある。

彼らは運気の特異点である。ある意味、普通の人からすれば運命的にも恐ろしい存在だ。触らぬ神にたたりなしで、関わらずに済むならありがたい。

経営者、政治家、官僚、軍人など、サイコパスが成功しやすい職業はある。政治家など誰がを助け、誰かを切り捨てる判断をすることが要求されることがある。このような判断をサイコパスはなんのストレスもなく、切り捨てることができるので向いている。

サイコパスの自分勝手さは他人にとっては迷惑以外の何者ではないものの、人類は時にサイコパス の自分勝手さを利用し、汚れ仕事をさせる事で発展してきた感もある。

綺麗事ですまない仕事にはサイコパスが向いていることは反論の余地はない。彼らは罪悪感のある普通の人にはできないこともやり遂げてしまう。決して褒め言葉ではないが。

私は悪というものの正体は生存本能による自分勝手さだと考えている。そして、それがあるから生き延びられたのが生物である。

サイコパスは悪(自分勝手さ)の権化ではあるが、人間は生存本能に起因する悪(自分勝手さ)を必ず内包している。サイコパスを絶滅させようとしても、どこかで自分自身の悪(自分勝手さ)と対峙することになるだろう。

サイコパスを理解はできないし、正直受容もできない。ただ、その要素が自分の中にもあると考えると微妙である。

自分の悪(自分勝手さ)を受け入れることができる時、サイコパス との向き合い方もわかるようになるのだろうか。