マイノリティがマジョリティを支えている

私がLGBTの人々について捉え方が変わった時のことをお話しをすると妙に納得をされることがあるので、それをここで書いてみようと思う。

もちろん、これは私なりの理解であり、それ以上でもそれ以下でもないことを最初に申し上げておく。どうとらえようと繊細な話題であることは間違いない。

ブログをはじめて、この投稿が300番目となる。まとまりのないこのブログを読んでくださる方も、以前に比べるといらっしゃるので、もう少し頑張ってみようと思う。

以前の私はLGBTのようなマイノリティについて、生物としては子孫が残せないのであれば、存在意義自体がないと考えていた。”社会”の洗脳を受けていたと言えば言い訳にはなるのだが、人を利用価値で測っていたのである。

ある時、インスピレーションがやってきた。

LGBTの人たちも、子孫繁栄を支えているのだ、と。

話が長いのだが、順番に説明をしていく。

本で読んだことがあるのだが、男女の決定は胎内のテストステロン・シャワーで産み分けがされるという説がある。男性ホルモンであるテストステロンを卵に噴射されるのだが、それが短いと女、長いと男になる。

母胎が極度のストレスにさらされる状態だとその噴射時間がいい加減になるので、中途半端な状態で男女の産み分けが起きやすいという。戦時下などでは、LGBTが生まれやすいという訳である。

その時に思ったのは、コンピューター制御の工場で行われるのではなく、”自然”によって起きるのだから、その歩留まりはゼロには絶対にならないということだ。必ず一定の歩留まりで男女の中間の存在は発生する。それは誰かが必ず割を食うということだ。

また、リクルートで新規事業に携わった時のことである。残念ながら、私が参加した新規事業はどれも撤退をすることになった。リクルートでは新規事業開発室でも、既存事業部でも常にいくつもの新しい事業に取り組んでいたが、その成功率は決して高いものではない。

10個の事業を行ってもどれが成功するのかはわからない。10個のうち、8個は失敗するが、2個の事業で大きな利益を出せばいい。皆さんが知るようなカーセンサーやタウンワークという事業というのは、消えていった多くの新規事業の中で成功した一部のものが残っている。

成功する新規事業だけを立ち上げられれば一番良いのだが、最終的には運もあるので、やってみないとわからない。成功する事業に参加したいと思っても、どれが成功するかわからない。成功する事業を生み出すためには、失敗する事業に参加する人はどうしても必要なのだ。

8個の失敗がないと、2個の事業の成功はないのだから、失敗をした事業に携わった人も実は2割が成功するのに貢献をしている。全体で考えるとそうなる。

当然であるが、何年もかけて新規事業を立ち上げて、それが撤退する様を見てうれしい訳はない。私としては、成功した事業に携わった人がうらやましいのだが、自分たちがやったことが無意味ではないと思っている。

私のインスピレーションは語った。性的マイノリティの人たちは本人が望むわけもないが、だれかが負担しなければならない数%の部分を負担してくれているのであると。

テストステロン・シャワーで男女の中間となるような歩留まりがゼロにすることができないのであれば、男らしい男と女らしい女の間にできる性的マイノリティを誰かが負担しなくてはならない。

逆を言えば、普通と呼ばれる男女が子供を産むためには、子供が産みづらい性的マイノリティを誰かが負担をしてくれていなくてはならない。

それは全体から見ると、マイノリティがマジョリティを支えているから、子供が生まれてくることができるのだ。

直接的には子孫繁栄には貢献しないが、間接的には子孫繁栄を支えていることになる。それはある意味とても犠牲的なものともいえる。

この考え方は実はあらゆるマイノリティにも適用ができる。

たとえば、先天的な障害が一定の比率でどうしても起きるものであるならば、健常者を生み出すためには必ず誰かが先天的な障害を引き受ける必要がある。障害者がそれを望んで引き受ける訳ではない。しかし、それを引き受けてくれた人たちをそうでない人間が迫害するのは許されないと私は思うようになった。

この考えに賛同する人もいるし、反論をもつ人もいるだろう。これは一つの考え方に過ぎない。

しかし、マイノリティをマジョリティが”違う”というだけの理由で迫害をするのは間違っていると思うようになるには十分な捉え方だと思う。