私は孤独感が強い方だと思う。他の人を見ていて、孤独耐性が強い人がいることに驚くことがある。
人によって個人差があって当然なのだが、コロナ禍で一人で閉じこもることについて語ると、一人でいることに全く不快感がない人がいる。
インスピレーションは語る「一人でいるから寂しいのではなく、寂しいと思う自分が寂しくさせているのだ。」
一人でいることは事象でしかない。それを自由と受けとめる人もいるし、孤独と受けとめる人もいる。私は後者なのだろう。
私の孤独感はどこから来るのだろうか。幼少期から孤独感への恐れと嫌悪感はあった。
USPTの手法で原因となる記憶を検索してみた。「何歳ですか?」と問うてもわからない。イメージは読み取れず、「何が見えるか?」と言うと真っ暗である。
直感的に感じたのは胎内記憶なのか?と思った。そこには不安と恐れがあった。誰の?母のである。
それと同時に「私は生きていて良いのか?」「私は生まれても良いのか?」と言ういつものアレである。
これはいわゆるバーストラウマというか奴かもしれない。
母は24歳ぐらいで初産であった。結婚して、父が家を建てて、共働きでギリギリまで身重で働いていたと聞いている。
私ができたと聞いて、どう思ったかは聞いたことがない。当然だが初めて子供の親になる時に、喜びを感じる人もいれば、不安を感じる人もいる。随分前に亡くなった母にそれを確認する術はない。
母は子供を大切にする人であったが、長男の私に対して気負いがあったのは否めない。立派な母親になれるかと言う不安があったとしても不思議ではない。そもそも、出産自体も不安はある。出産は今ですら決して安全なものではない。不安の方が勝ったとしても責められない。
私自身、子供が出来たと聞いた時、親になる実感とか喜びより、自分が親になれるのか?育てていけるのか?と言う不安の方が先に立ったのを覚えている。単純に喜んでいた妻とは対照的だった。
今では子供の父となれてよかったと思っている。子供は多くの喜びを与えてくれた。私は父親として決して立派とは呼べないが。
男に父性本能などない。父親になるのは学習である。子育てによって、自分は父親の自覚が生まれたと思っている。
しかし、その自信のなさは自分が生まれた時の母親の感じた自信のなさだったのかもしれない。
私は両親との微妙な距離感が両親が亡くなるまで解消出来なかったが、弟には全くそれがない。母が2回目の出産した際には不安をあまり感じなかったのがその違いであったとしても、不思議ではない。
幼少期からなぜか私はいつか自分は捨てられると思っていた節がある。何かを生まれ持って来たと思ってはいたが、これがバーストラウマだったとすると自分としては納得できる。
親に確認のしようもないので、対処をして確認をしていく他はない。
USPTで統合をしてみた。
1回で済むかどうかはわからないが。私の孤独感や生きて良いのかという自信の無さが少しでも解消すればありがたい。