単身赴任宅で小さめの洗濯機を使って週に1、2度洗濯をする。その際に水量について疑問があったが、その答えを以下の記事に見つけた。
「脱いでそのまま洗濯機に入れる人の服は臭い」洗濯は全自動にしてはいけない あなたの洗濯の方法は間違っている
https://president.jp/articles/-/40865
疑問というのは自動給水にした場合の水量が足りているのか?ということだった。ある日、途中で縦型自動洗濯機の中を覗いたら、洗濯物が十分に水に浸かってない。
子供の頃に、洗濯機をあきもせず覗いていた頃があったが、なみなみとした水の中で洗濯物が泳いでいた。しかし、今の洗濯機の中では、洗濯物が水に十分に浸かっておらず、窮屈に回る。
なんか、変と思うのだが、メーカーも考えて作っているのだろうと思い、そのまま使っていた。
記事ではメーカーが行き過ぎた節水に気を取られて、汚れ落ちを蔑ろにしているとある。自動給水では水が足りないというのはなるほどと思う。
たしかに、私が子供の頃には節水なんていう話はなかった。さらに言えば実家が水の豊かな地域でもあった。
節水は重要である。しかし、洗濯で汚れが落ちないのでは意味がない。汚れが取れてないので部屋干しで臭いがする。それで除菌洗剤が必要になったり、香料で誤魔化す。
置かれた状況にもよるが、根本的にはまずは汚れが落ちるためには水の量が必要であるなら、水量を増やして汚れを落とさねばならない。
このことからわかるのは、世の中は様々な工夫によりスタンダードが変わっていく。それも知らない内にである。だが、それが本質に基づくものではないことがある。
例えば、スピーカーなどはそうである。昔は重くて、しっかりした作りのスピーカーは音が良かった。今のスピーカーは軽くて、材料も安価になったが、その分は音質が犠牲になっており、良いスピーカーはなかなかない。
コスト重視、節約重視、環境重視など大いに結構であるが、それで切り捨てた側に本質があるならば、本末転倒であるということもままあると言うことである。