山口県の方のお話を聞いていた時のことである。住んでいる地域には戦争の傷跡が生々しく残っているというお話をしていた。
太平洋戦争の時の空襲の跡、川の土手には機銃照射の跡、防空壕の跡などが至る所にあると言う。少し前にも不発弾が見つかったとのこと。防空壕にはもう助からないと思われる人たちを生き埋めにしたなど悲惨な話が多数伝えられている。
私は物を知らないのでなぜそんな田舎に空襲が頻繁にあったのか?と思ったのだが、少し話を聞くと合点がいった。瀬戸内海は当時は軍港や造船所がひしめいていた。その町には回天の基地があったという。
回天とは人間魚雷と言われる特攻用小型潜水艦である。燃料が少ない戦争末期は航続距離の短さにより、特攻の成功確率が極端に少なかった。そして、燃料切れで止まってしまうと機密保持のために自爆レバーを引かなければならない。乗り込んだら100%死ぬ事になった。未来ある若者の命をなんと無駄にしたことか。
彼の住む詳しい地域は聞かなかったがたぶん周南市の辺りではないかと推察する。そんな基地があれば、太平洋戦争末期は頻繁に空襲があったのは仕方がないことだ。
彼は同年代の男性で私と同じ戦争自体は経験のない世代である。しかし、私は戦争の痕跡を近所で見て育ったわけではなく、戦争かあったことは理解しているが、実感があるわけではない。彼は育った町に戦争の傷跡を見て育ったことが、人生観の形成にどのように影響があったのだろうと思う。
私が九州に住んだ時に思ったのだが、西日本の方が戦争の悲惨さがしっかりと引き継がれていて、何か申し訳なさを感じたことがある。それは広島、長崎と原爆が落ちた事によると思っていたのだが、それだけではなかったのかもしれない。
現在、ウクライナではロシアとリアルに戦争が始まっていて、世界大戦になる可能性すらある。日々の報道がどこまでの真実を含んでいるかはわからないが、庶民の耐え難い不幸があるのは間違いない。
新しい戦争の傷跡は未来の子供にまた影を落とすのだろう。
戦争は疑心暗鬼、認識の相違、誤解、違うものへの憎しみ、欲望など人のさまざまな歪みが生み出す悲劇である。人と人とが分かり合えるのなら、起きる必要などない。
人間関係のもつれすら克服できないヒトというものが、戦争という悲劇を克服できるようになるのだろうか。
それでも30年前に比べると様々な多様性に寛容な人たちがこの世界には増えていると私は思う。
人と人が違っていても良いというのは、相互理解の礎である。私も含めてダメダメな人間が多いのは確かだけれど、わずかでも人が進歩しているのなら、戦争のない世界が来るかもしれない。
そうあってほしい。