サイコパスとサイコパス風の人たち

サイコパス という言葉をドラマでもよく聞くようになった。サイコパス はよく注意してみると周囲にもいる。

サイコパス は重犯罪者研究からきた言葉だが、社会適合しているサイコパス も数多くいる。

サイコパス を一言でいうと自分だけが生き残ることに正直すぎる人である。本能は自分だけは生き残りたいという生存本能というものを持つ。彼らは生存本能のみの人たちに見える。

生き残るためなら他人がどうなろうとお構いなしで、平気で他人を踏み躙る。息をする様に嘘をつき、罪悪感など微塵ももたない。他人から見るとたまったものではないが、彼らは自分に正直なだけである。

イメージ的には自分以外は家畜のように見ているのだろう。我々人間は牛や馬には酷いことをしているのだが、あまり罪悪感は持ってない。何かを食べないと生きてはいけないので、それを考え始めると何も食べられなくなるし、生きるのは難しい。

よくベジタリアンが動物は食べないというが、植物も生命であることから、自己満足にすぎない。極論を言えば、生命に高等も原始的もない。ただ。この宇宙は自己満足の世界なのでなんの問題もない。

そういう意味ではサイコパスにも良いも悪いもないのだが、他人にとっては迷惑な存在なだけだ。

そんな扱いに困るサイコパスだが、そうではないけど、似た連中がいる。サイコパス風の人である。

人の気持ちがわからないアスペルガー的な人たちは一見サイコパスでないか?と思うのだが、彼らはただ人の気持ちがわからないから人の気持ちを踏みにじるだけである。よく見ていると彼らには罪悪感は存在している。ただ、他人の気持ちと自分の気持ちを比較したり出来ないので、考え方が独特すぎるだけである。

また、被害者意識が強い人は平気で人を傷つけることがある。被害者意識が強い人は過去に酷い目に遭ったことで自分は他人に酷いことをする権利があると思い込んでたりする。ところが彼らには罪悪感があり、頭を冷やすと後から罪悪感に苛まれることになる。

良心も罪悪感も持たないサイコパスは反省のしようがないが、サイコパス風の人は罪悪感があればいつか反省することができるのではないかと思う。

社会適応型のサイコパスの人たちは数%はいると言われ、数十人に一人というさほど珍しい存在ではない。存在としての良し悪しは言えないものの、他人からすると賢く見分けて関わらないようにした方がひどい目にはあわない。