トイレの神様

植村花菜さんのトイレの神様はとても良い曲だと思う。しかし、私はこの曲を聴いて、なぜかおばあちゃんが亡くなる下りが、全く頭に入ってなかった。

後藤真希さんが歌うトイレの神様を聴いた時に、この曲はこんな歌だっけ?と歌詞カードを見直した。

おばあちゃんの家を出た「私」はおばあちゃんが亡くなる寸前におばあちゃんの元に帰る。おばあちゃんは「私」を待っていたかのように翌朝には亡くなる。

私はこの歌がそういう歌だと認識しておらず、なぜかのほほんとした歌として覚えていた。所が後藤真希の歌を聴いて泣けてきた。

というのも、私の母が余命宣告を受けた時に私は会社を休職して名古屋に帰った。休職するのに3ヶ月かかった。帰るとその翌日の夜に母は亡くなった。

私は父の死に目には会えなかった。そんな私を不憫に思ったのか、母はもう意識がなかったが、まるで私が休職して帰ってくるのを待っていたかのように亡くなった。

歌詞とよく似た話である。その私がトイレの神様の歌詞にあまり反応してなかったのは不思議である。

植村花菜さんの歌は明るいしまだ若い。後藤真希さんは少し歳を重ねて、その分苦労もされているのかも知れない。

同じ歌なのに私の心には随分と刺さり方が違うなと思った。もちらん、このような感想は個人の好き好きである。

新しい刺激は今まで知っていたものすら、新しい認識を与える。実に面白いと思う。