ワールドカップの勝ち負け

サッカーのワールドカップは初めてイスラムの国カタールで行われた事で話題にもなった。また、ドイツ、スペインというサッカー王国に日本が勝った事でも期待に沸いた。

結局、ベスト8は夢と消えた。サッカーファンの方々にはとても残念な事だったとお悔やみを申し上げる。ただ、これは全てニュースの内容で私自身はサッカーにあまり興味はない。なので、この騒ぎを俯瞰して見ていた。

普段サッカーを見ない人でもワールドカップは見て、勝ち負けには一喜一憂する。他民族と戦って勝つことは太古の昔なら、大きな喜びだった。逆に負ければ民族大虐殺が待っていたからだ。なんであっても、他民族に勝つことはそんなことのシミュレーションになるのだろう。極論、国家元首のジャンケン大会でも、世界は一喜一憂で盛り上がるかもしれない

人は負ける事を嫌い、勝つ事に執着する。子供を観察すると物心つく前から勝ち喜び、負けると泣き叫ぶ。うちの子が幼い頃、ジャンケンをして遊んだ時、何も賭けておらず、何ももらえないのに、ただ勝ち負けで喜んだり、泣き叫んだりしたのを見て、これは本能なんだと思った。勝ちの喜び、それは生き残った快感である。

勝てば報酬系ホルモンが出て、負けるとノルアドレナリンが出るのだろう。身体を持つ身ゆえ、本能的生理的な反応には抗えない。

原始の頃、もしくはホモサピエンスよりも前の原始的な動物だった時代。勝ちは生を意味し、負けは死を意味したのは想像に難くは無い。ジャンケンやトランプの勝ち負けも、生死を賭けた戦いも、本能にとっては違わないのだろう。

子供も成長するとジャンケンの勝ち負けには反応しなくなるが、大人でも物や金、プライドがかかった勝負では泣き笑いする。

かくして、TVではアナウンサーが真剣な顔をして、サッカーの勝ち負けを語るが、サッカーなどどうでも良い私にとって、その勝ち負けはスーパーの100円クーポンよりも価値がない。

勝ちの中に生への喜びを感じ、負けに死への恐怖を感じるのはエゴだったり、自我だったりする。それに振り回されている事を知っているのと知らないのとは少し違うのではないかと思うのだ。

ワールドカップやオリンピックは代理戦争と言われることがあるが、ある種のガス抜きになっている。人は争いが好きなのだ。サッカー自体が悪いわけでは無いが、そんなガス抜きなど不要な世界になって欲しいものだ。まずは戦争がなくなる方が先かな。