幸せになる

何日か前、同僚と一杯やって少し酔った頭にインスピレーションがやってきた。

「幸せになるには幸せだと思えば良い」散々過去にもやってきたインスピレーションである。幸せは得るものでも掴むものでもなく、感じるものだ。それが、少し強い実感と共にやってきたようだった。

この世界は本人の認識でできており、他の誰がなんと思おうがその人が幸せなら幸せな世界、不幸だと思えば不幸なのである。幸せになるには何もいらない。ただ、幸せだと思えば一瞬で幸せになれる。

人は思い込みがあって、幸せの前提条件が人それぞれにあり、それをクリアしないと幸せにはなれないと思っている。それもまた幻想の産物でしかない。

自分が不幸だと思っている人は、周囲に気に食わない何かがあって、安心できなかったりする。しかし、他の誰かにとってそれは全く気にならない。人は気になるものは目に映るが、気にしないものは目に入らない。ないも同じだったりする。

自分の中のこだわりによって、気にいるもの、気に入らないものができているのだが、こだわりがなくなれば、それらはなくなる。

今日起きた事は運が良いと思える事、運が悪いと思えることがそれぞれ起きているはずなのだ。しかし、良い方しか目に入らず、悪い方はスルーしている人は幸せなのだ。

その幸せな人を別な人が見た場合、全く違う評価になるのかもしれない。ただ、この世界は自己満足の世界である。自分が幸せだと思うなら、他の誰かがどう思おうが関係ない。

社会では自己満足はいけない、他人と認識合わせをしないといけないという。もちろん、社会生活を送るにはそれは必要なことである。だが、こと幸せになることは大変個人的な話であり、社会とはまったく関係ないのだ。

悟りきると一切のこだわりはなくなるかもしれないが、この世にとどまる意味もなくなるだろう。悟り切らない程度にこだわりを手放して行くと、生きやすくはなる。それは経験による気づきによったり、カウセリングや内観によるものかもしれない。

不幸も幸せも、結局は本人が望んでやっている一人芝居にすぎないのだ。