刺青

朝、道を行くと前の女性の背中側、首の下ぐらいに小さな刺青があった。あんな刺青でもプールや銭湯では拒否されるのかな?などと考える。

日本では反社会勢力の象徴とされる刺青。公共施設などは小さな刺青でも許していると、背中一面に不動明王が彫ってある御仁が、あれが良くてなんで俺がダメやねんみたいにねじ込んでくるのは容易に想像ができる。

刺青にはいろんな起源があるだろう。
まずは、奴隷などの管理や区別に使われた刺青。牛の焼き印と同じである。持ち主を示すようなものだ。ちなみに、愛する人の名前を彫る刺青も自分が誰の持ち物かを主張をするのだから、やはりこれに当たると思う。

受刑者の刻印も似たようなものである。日本の刺青は島流しなどの受刑者を区別するために付けられた刺青が発展をしたと思われる。

それを逆手に利用するようになり、俺はヤクザ者だと脅しをかけるために刺青を彫るようになる。

次に、西洋でありがちな軍人や水夫の彫り物、これは死んだ時に誰かがわかるような軍用認識証(タグプレート)の代わりであろう。

それだけではなく、縁起担ぎの部分も含まれる。ドクロを彫るのは、死神と仲良くなって死を避けるというような意味もあるのだろう。

ちなみに、これはあまり気(運)が良くはないので戦場(生死の狭間)の場合だけにした方がいいと私は思っている。

まったく別の意味の刺青がある。呪術的な、もしくは宗教的な刺青の文様。神の加護を祈る、神を讃えるような文様の刺青がある。気のパワーが高いものである。

ヤクザ屋さんの背中の菩薩や不動明王は単なる絵でしかなく、それには当たらない。インディアン、ハワイアン、沖縄などにはたしかそういう古代の風習があったように記憶する。これを牛の焼き印と同列にされてはかなわない。ただ、他人から見ると見分けはつかない。

日本のような刺青を入れると不自由な国では、刺青はいれない方が都合が良いと個人的には思う。

呪術的なものであれば、イメージでオーラに直接紋章を刻み込めばよい。この手法は呪術的な伝授とかで使われる。見た目はわからないが、力はある。レイキなどはこの方法で伝授がなされるわけで実例はいくらでもある。