戦いを好む人々

街を歩いていて、たぶん労働組合だと思われる団体組織がデモを行っていた。彼らは自分たちの現状を憂い、団結と闘争を主張をしていた。ギターで歌を歌う人がいた。

「誰かが倒れても、また次の戦いが起きる」「川の流れのように次々に戦いは起こる」「そして最後は我々が勝つ」というような歌詞に聞こえた。通りがかりなので、そんな感じに聞こえただけかもしれない。

私が違和感を覚えたのは、彼らは闘争を主張しあおるが、どうなりたいかがよくわからなかった。素人の感想であると笑われるかもしれないが、もし要望を出してそれが受け入れられるならば争う必要はない。しかし、扇動する人は戦いありきで闘争と団結をうたう。もちろん、過去の経緯と遺恨があるのだろう。

私には彼らが何かと戦うことを好んでいるように思えた。闘争本能のなせる業なのだろう。

これは反戦運動をする人々も同じで、平和を求めるのと”戦争”と戦うのは違うと思うのだ。反戦運動を闘争ととらえる人はきっと立場が変われば、戦争を引き起こす側に立ってしまうだろうと思ってしまう。

これは個人による感想にすぎず、活動の意義自体はそれぞれにあるとは思っている。