葬式にお清めの塩は要るか?

葬式から帰ると自宅でお清めの塩を肩に振るのが昔からの習いである。そのため、通夜、葬式の来客には塩の小袋をお渡しをするものであった。

ところが最近は葬式屋の中にはそれに異を唱える所がある。彼らの主張は、「死者は穢れてはいないので、塩をお渡しはしません。死者に失礼だ。」ということだった。

死者でも通夜の時にはすでに成仏している方もいれば、そうでない方もいる。そもそも、死者だってそうそうたたるもんじゃない。塩をお清めするのは死者が穢れているからではない。

穢れを出すのはむしろ生きている人たちの方である。遺族は家族を失い、悲嘆に暮れ、苦痛の中にある。集まった方々も同様である。その場は壮絶に悲痛の気が集積されることになる。葬儀場しかり、火葬場なども、その道すがらまで相当に悪くなっている所が少なくはない。

それはすべて生きている方々の悲しみである。そういったものをコントロールできている葬儀屋などそうそうあるものではない。たぶん、そういうことを気にする人だとお仕事中に具合が悪くなってしまうだろう。

悲痛の気(邪気)を自宅に持ち帰って良いことなど何もない。だから、塩でお清めをするのである。別に死者が穢れているというわけではないと私は考えている。

遠い親戚の通夜に出た後、明らかに強い邪気をもらってきたのがわかった。ちなみにその時のおじいさんは大往生でさっさと成仏をしており、なんの障りもなかった。持ち帰った障りはすべて参列者の生霊(生きている人の悲しみ)である。

返礼品の中の塩を探したら、それがなかったのが冒頭の話である。その時は家の塩を振って、家に入った。葬式の返礼品には 是非とも 塩を付けてほしいものだ。