バキュームカー

自転車で歌舞伎町と大久保の境界ぐらいを走っていると歩道を太いホースが横切っていた。横を見るとバキュームカー(汲み取り車)がいた。

近年、汲み取り式のトイレが減ったこともあり、ほとんど見る事がないのだが、大都会新宿にもまだあるんだなと思う。ここ3年ほどでこの界隈で見たのは2回目である。

自転車を降りて、自転車を持ち上げてホースを越える。その横で宅配のお兄ちゃんが背の高い台車を押して苦労をしていた。20代半ばぐらいであろうか。彼は「これ信じられないよね。」と大声で私に同意を求めた。

ゴミ収集車にしても、バキュームカーにしても、社会の必要機能であり、あまり人がやりたがらない仕事をしてくれている側面はある。私は目くじらを立てるつもりがないので、彼には苦笑を返すだけだった。

そもそも20代の彼はあれがなんなのかを知っているのだろうか。私の子供の頃には特に珍しい存在ではなく、その臭いには閉口をしたが普通に存在を受け入れていた。しかし、昨今はバキュームカーなど見ない。

彼にとって、なんだかよくわからないものが目の前にあって、自分の仕事を邪魔しているのだ。腹が立つのもわからなくもない。わからなくもないが、私には彼に同意もできない。特段、よくある光景でしかない。むしろ、少々妙ななつかしさすらある。

人生の間にこれをあと何回見れるのかもわからないのだし。(笑)

当たり前のことだが、人はその記憶と経験が違うことでそこから思うことは様々である。腹を立てているお兄ちゃんを見て、少し滑稽だった。