楽しくて仕方がない人

年賀状をもらった友人にLINEでやりとりをした時のこと。

エンジニアの彼は「金にはならない趣味での開発が楽しくて仕方がない」とメッセージが送って来た。

コンピュータ好きの彼は趣味で何かプログラム開発でもしているのだろう。何をしているのかは知らない。

仕事でも開発はしているのだが、金のために行うのはお仕事である。お仕事というのは人の希望に合わせるし、やらねばならない事の集合体であるので、単純に楽しいという訳はない。

自分がやりたい事を見つけて、それを自分の思うがままに行うのは楽しいだろう。ある意味、自分というものを表現をするのは芸術であると言っても良い。

マーケティングして、売れるものを作るのは商業作家であり、商売にすぎないが、自分が良いと思うものを作るのは芸術である。それが、たまたま人が欲しいと言って高い値段がつくのはその先の問題でしかない。

ちなみに、商売が悪い訳ではない。それが楽しくて、したい人もいる。それは人それぞれであり、向き不向きがある。

だれも、見向きもしないものであっても、それが自己表現であるならば、それは芸術であると思うのだ。

よく芸能人がアーティストと呼ばれるが、大衆の好みをうかがって、他人の目を気にして、芸事をしているなら商業職人であり芸術家ではない。人気を求めて四苦八苦するだけの人がアーティスト呼ばれるのにはいつも違和感がある。

歌手や俳優は行為によって決まるが、芸術家というのは心の有り様によって決まるのであって、人気によって決まるものではない。

もちろん、好き勝手をして、それがトレンドを作っている人もいるが稀ではないかと思う。

多くはマーケティングして、他人の顔色を伺いながら商品を作っているに過ぎない。お仕事である。

もちろん、お仕事は生きるために必要な事であり、大切だ。やろうと思ってやるのは良いが、やらなくてはいけないと思ってやっているなら苦痛でしかない。

自分のやりたい事、自分の表現をしてこそが芸術家であり、それが世に認められることで売れるのが本物だ。好きな事をする事ができても、他人から人気を集めることは簡単ではない。

他人から認められなくても、自分がやりたい事が見つかって、それがやれていて、楽しくて仕方がないというのは本当に素晴らしい事だ。生きる甲斐があるだろう。

人は人の数だけの世界への見方があり、何が幸せかは本人しかわからない。幸せなど、最終的には自己満足に過ぎない。他人から評価の是非に関係なく、自己満足ができた人が幸せなのだ。

しかし、世の中むしろ自分が何をしたいのかがわからない人の方が多いと思うのだ。だから、勘違いして実はやりたくもないことをしながら、命の尺を浪費していく。

ご多分に漏れず、私もそんな人生を送ってきた。

これをしていると金にはならないが、楽しくて仕方がないと私も言ってみたいものである。それが言える彼は素晴らしい。

人生など、寄り道していると短いものだ。

今からでも遅くはない。自分のしたい事を見つけたいものだ。それには本当の自分というものと向き合う必要がある。