コロナウイルスとコロナワクチンの狭間

私が調べたところとその解釈において、コロナワクチンの接種は極力避けたいと考えている。

会社で集団接種の申し込みが来たが、自由意思だったので、申し込みはしなかった。

コロナウイルスに感染すると大変な事は分かっているが、コロナワクチンもかなり危険と不明な要素があり、どちらも勘弁してほしい。

コロナウイルスに感染して、重症化や後遺症の可能性はあるが、それを避けるためにもう一つの厄介ごとを敢えて受け入れるのも違うと私は考えている。

この問題は家族においても、自由意思は尊重されるベキだとは思う。というのも、行くも地獄戻るも地獄の場合、どちらの道が正解かなどわからない。

今のワクチンが正解かどうかなど、5年、10年経たないとわからないのだ。

どちらに賭けても博打なのは確かだ。

そんな時には、戦国時代の真田家のエピソードを思い出す。徳川か、豊臣か、どちらが勝つか分からない中で真田家は兄と弟は別の道を行くように父より言われた。

結果、弟は大阪城で果てたが、真田家は江戸の世も続いた。

私の弟にもさりげなくワクチンの危険性は伝えたが、彼がどう判断するかはわからない。

家族の中で、我が家がワクチンは打たないとして、弟の一家がワクチンを打つならどちらかの血脈は生き残るかもしれない。

多様性により人類は生き延びてきた。変化や災害の際に生き残ったのは多様性があったからたまたま生き残る条件にあったモノだけが生き残ったのである。

そういうのもアリである。

私はコロナウィルスも、コロナワクチンも避けて、その狭間をすり抜けたいものだ。