桑田佳祐 ほととぎす[杜鵑草]

桑田佳祐さんの「ほととぎす」をふと聴いていて、なんとも運命の人との巡り逢いと別れについて感じ入ってしまった。

「人は何故戯れに叶わぬ恋に身悶えてせつなさと虚しさに心を乱すのでしょう」叶わぬ恋と言っているのは障害がある恋、不倫かもしれないし、歳が違いすぎたり、身分違い、国や習慣が違うのかもしれない。

「逢いたくて恋しくてあなたと共に添い遂げてもし夢が叶うなら生まれ変わりますように」今世では添い遂げるのが難しいので、できれば来世で添い遂げたい。ソウルメイトだったり、ツインレイだったりするのかもしれない。ツインレイはそもそも今世で統合などできることなどまずない。それは輪廻からの解脱直前であるという意味なのだから。

「星の瞬きより儚い人生(いのち)と君と出会って覚えた砂粒より小さな運命忍んで見つめ合った日は帰らず」桑田さんはガンを患って以降はたまにスピリチャルな内容の歌詞を書く。死と向き合った体験が人生の儚さを実感させるのだろう。運命の相手と出会うのが、砂粒より小さな奇跡的な出来事であり、ツインレイとの出逢いは本当の愛を知るためのイベントに過ぎず、多くはまた別れていく。

「時は過ぎ人は去きすべてが思い出に変わり幸せの意味さえもさよならの後で知る」そのような人との出会いにより、その後に無条件の愛について学びを得る。そして、別れた後に幸せであったことを知ることになる。

「寂しがり屋の誰かを励ますようにこぼさぬように涙をあなたがいつも笑顔でありますようにたった一言の「お元気で」」無条件の本当の愛を知るとたとえ一緒にいられなくとも「あなたが元気で幸せでいてくれさえすれば良い」と思う。それをお元気での一言に込めたように感じられる。

機会があったらまた書こうかと思うが、朝ドラの主題歌「アルデバラン」AIの歌詞「君と君の大切な人が幸せであるそのために」なんかも同じ匂いがする。

お気軽スピリチャルや一部の占いではツインレイを赤い糸の運命の人と混同して、現世で結ばれると安直に煽る。しかし、スピリチャルにおけるツインレイはとても過酷な修行のようなもののようだ。耐え難い身悶えの中で無条件の愛を学ぶのではないだろうか。