人の生きる意味

AI流行りの世の中である。AIにより、今まででは考えられないようなことができる。

AIの利用事例を紹介するテレビ番組を見ていた時に降って湧いた考えに「人の生きる意味は今を感じることにある」というのがやってきた。

私は幽霊的なものは空間に転写した残存思念と考える。これは過去のその人の記憶である。幽霊は過去の記憶の再現でしかない。今というものはない。

AIは情報を集積して、未来をシミュレーションすることができる。例えば人格情報を集積することで、その人がどのように振る舞うかをシミュレーションすることは可能、これは未来の推測である。

私は自我を本人のみではないのだが、記憶と感情記憶のデータベースとその処理システムだと考えている。自我は過去を再生すること、未来を思考すること、そして今を感じることができる。

過去を振り返ることは幽霊でもでき、未来の推測はAIでもできる。そこに魂のようなものは必要ない。生きている必要もない。

しかし、今を感じることは幽霊やAIにはできない。AIが今の状態把握をすることはできるが、それの判断は過去の情報からの判定である。

今生きているという実感を持つことは生きている人間にしかできない。

「人の生きる意味は今を感じることにある」という言葉にはそんな意味があるのではないか?と私は後付けではあるが考えた。

人は過去を後悔し、未来を心配するような事に時間を使うのだが、それは幽霊やAIでもできることである。極論、後悔は死んでからでもできるのだ。今を感じ、今を生きる事をしないと生きている甲斐というものがない。

世の中ではAIの先にはトランスヒューマニズムというものが研究され、人の記憶をコピーして見た目永遠の命を手に入れる試みがあると言う。

これは自ら幽霊になるということのようにも思う。機械の脳と機械の体で、人は今を生きる事はできるのだろうか。