マライヤキャリーの醜聞?

Facebookを使っているとフォローしてない動画がなぜかどんどん出てくる。SNSの大衆操作である。

マライヤキャリーとその姉との確執についての動画を見た。全体のトーンとして大金持ちになったマライヤが貧乏で生活に困っている姉を助けないのは不届きであるというものだ。

その確執の原因は10代の頃、実の姉から薬を飲まされて犯罪組織に売られそうになった事で、今もマライヤが姉を許してないという。

私からすれば、そんな事があっては姉と絶縁しても仕方がなく、いくら金持ちになったとはいえ、面倒を見ることができないというのも仕方がないと思う。そもそも、妹に薬を盛って売り払おうとした姉を責めても良いとすら思う。こんな事は他人がどうこう言える話ではない。この動画は明らかにワザとマライヤを貶めていた。

そもそも、彼女らは地球の反対側の人である。日本に住む我々からしてどうだって良い話だ。関係はない。それをわざわざ日本語の動画を作って、マライヤを貶める意味がわからない。

この動画を見て誰が悪いのかと言うと、私は姉でも妹でもなく、自分は隠れてこんな動画を作って流している奴が一番の悪人だと思うのだ。

よく考えてみれば、ネットの情報というものはどんな意図をもってかはわからないが、必ず作者のバイアスがかかって存在する。

動画の作者がマライヤを貶めるためか、それとも再生数(金)のために面白おかしくしたのか、事実を組み立てて観る人の印象を操作している。それに我々は毒されている。

この世界では他人のいうことに踊らされることに意味はない。書いてあること、話している事はその人の視点で見たことでしかない。さらには悪意を持って伝えていることすら少なくはない。

本は出版社が校閲をして、会社の名にかけて内容を確認して出す。それでもその内容が正しいかどうかはわからない。ネットは誰でも何でも書いたり、話せたりする。誰も校閲はしない。

この世界は突き詰めると自分で見たことすら幻想かもしれない。ましてや、自分の見聞きしてないことをどこかの誰かの言うことを鵜呑みにするのはつまらない。

私はマライヤキャリーの歌は聴いたことがあるが、ご本人にはお会いした事はない。よって、何が本当でなにが正しいかなんて分かるわけもない。ところが、我々はこういう情報に踊らされてわかったような気になって、一緒になって批判したりする。愚かである。