確率について

友人と飲んだ時に、よく確率を持ち出して説得をする相手に私は「確率何ぞは信用しない」と言い張って、相手から意味がわからないと言われることがある。

正確にいうと「未来予測に確率を持ち出して説得しようとする奴を信用しない」なのであろう。私はもともと未来予測はできないと思っているし、過去のデータで成り立つ確率で未来は予測はできない。

もちろん、母数が大量であればそれなりに確率は働くので、当然だが、私も意思決定をする際に確率を利用することはある。問題は確率を持ち出して、人を説得しようという人は往々にして確率で未来を予測できると勘違いをしている。

コンサルタント、アナリスト、評論家の類で、それを勘違いしている連中はやっかいである。もっとも、その本質に気がついていて、嘘があることを承知の上で確率を使って説得してくる奴はさらに質が悪い。

そもそも、エゴ(自我)というものは、自分の過去に経験をしたデータの集積であるから、同じ過去データに基づく確率には親和性がある。

なので、エゴは確率でだまされやすい。ところが、過去に1度も起きたことのないことが、起きることは普通にある。また、100億分の1の確率であろうと、よりによって最悪のタイミングで起きることがあるのが現実である。

目の前の1回を実施するのに、確率論で結果を予測するのは意味がない。そういった意味で、過去のデータはあくまで過去のデータにすぎず、未来は確率論なんかで動きはしない。

さらに統計のマジックというものもある。切り口、観点、データの採取方法、対象の選定の仕方で同じ現象がいくらでも、別物に見えてしまう。統計を信じられない所である。

もっとも、確率を信じるか信じないかは本人次第であるから、自分が信じないからといって、相手にそれを押し付ける必要はない。

ところが、確率で説得にかかる人は確率は正しいのだから、こうなんだと説得にかかってくる。それが科学なのだからと、本来ありもしない正義を振りかざして。そこには実は嘘があるのだ。本人は自覚していないが。

本来、算数で確率とは意思決定のツールであると習った。分析して判断をする方法に1つである。本来は説得の手段ではない。

確率自体は悪いものではないのだが、それを悪用して人を自分の思う通りの方向に向けさせようとする連中が多いように思う。