幽霊と人の見分けがつかない人

先日、ある忘年会でご一緒した女性で、霊能の方とお会いした。その方は子供の頃から、幽霊を見ていたが、幽霊と人間が同じようにリアルに視えて見分けがつかないという。

過去に霊を視たことがあるという人は100人いれば数人いたりするが、そこまで常にはっきり見える人は今までに数名しかお会いしたことがない。

会話もできるが、よくグロテスクな風貌だから分かる事がある。視たくはないがもう慣れた。浄霊術などは知らないのでとにかく説得をする。妖精や妖怪の類は視えないらしい。その辺は人によって違うのだろう。

彼女の現実には幽霊がリアルに存在するのだ。話をすると幽霊も人も変わらないが、生きているか死んでいるかの違いだと言っていた。まあ、そこは大きな違いではある。まるでファンタジー映画の世界を生きているようだ。

私には気配しかわからないので、よく気の迷いではないかと思うのだが、浄化などで祓ったりすると、自分や他人の自覚において変化があるので、幽霊や生霊はあると理解をしている。彼女たちのようにそれが目に見える存在であればさぞかしわかりやすくはなるだろう。

とは言え、”視た”ことのある人からするとそんな安直な話ではなく視るんじゃなかったと思うことが多い。友人の霊能者は普段は視たくはないので、スイッチを切っているという。私自身も気の感覚のスイッチを切ったり、バリアを張らないと辛い時はある。そういう意味では私は視えなくてよかったと思う。

その方は力のコントロールなしで、ずっと暮らしてきたということで、さぞかしご苦労されてきたと思う。

別のページで書いた昔会った霊能者の介護士さんも、幽霊を視てしまうし、勝手に降霊術が起きてしまうが自分では力がコントロールできないと言っていた。それでも普段視たくない時は、アクセサリーなど光物をジャラジャラつけると視えなくなるという。ただ、介護士の仕事の際はつけられないため、視え放題になってしまう。病院という関係でいろいろ視たことだろう。

霊能者も楽じゃない。

このようなことを語る人が嘘や妄想だとは思わない。霊を視たことがある人と視たことがない人の違いは、才能、能力の差があって視ている世界が違うのだと理解している。能力の差と言っても”違い”であって”優劣”ではない。視えるのが良いとか悪いのではなく、単純に視えるものが”違う”のだ。

絵の才能がある人や数学の才能がある人、絶対音感のある人では、凡人とは視える世界が違う。世の中ではマネタライズしやすい才能しか才能とは呼ばないが人ができないことができる個性はやはり才能だと思う。

聴覚過敏の人が脳で処理し切れないほどの情報量を聞いてしまい、疲れてしまうように、霊視できてしまう人は嫌でもそれができてしまう。

人と人は普通に考える以上に違いがあると言うことなのだと最近はよく思う。