絶対的幸福?

「何が楽しくて生きているんだろう」と頭によぎる。自我はそんなことばかりを問いかける。今までにも散々とやってきて、悩まされた。自我は意味を探さずにはいられないからだ。自我はそれ自体が意味の存在であり、自分が無意味であることに耐えられない。自分は意味や価値が無いんじゃないかと不安と恐れに苛まれる。そんなことが減ってきた今でも、頭によぎる問いかけだけはやってくる。

「目の前で起こる全てが楽しくて面白い」そう捉えられるなら、絶対的幸福になれる。そもそも、生きていること、この世界にいること自体が、在り難いことと知るならばそのように思えだろう。

自我に任せておくと全ての出来事をコモディティ(大したことないもの)にしていく。全ての出来事をジャンクだとディスる。

どちらを信じるのか?お前は。とインスピレーションは語る。

自我の言う通りに絶対的不幸の地獄を選ぶか、それとも何者かの言う絶対的幸福を取るか。当然だが私はどちらかといえば、地獄よりは天国の方が良い。自我と言う肉体のAIナビゲーションアプリと付き合う限りはこんな問いかけとは無縁にはなれないのか。それでもスルーできるようになってきた。