今、猛烈に感動している

今、猛烈に感動しているというのは星飛雄馬のセリフだが、こんな言葉をいう奴が本当にいるのかと思っていたが、どうしようもなく感動してしまう時にはアリなのかもしれない。

1ヶ月ほど前からネットで知り合ったお会いした事もない方とメールの対話をしているが、その方の変化というか、気づきを得ている様がスゴイなと思う。メールやチャットで表現できる範囲はとても限定的でアドバイスや自分の経験を語っても伝わることは少ないはずだ。

しかし、その方は打てば響くようにして、私の拙い文章から意図を汲んでいく。まるで、イメージで伝わるかのように。私が長い間かけて受けていたのと全く同じような気づきをすごいスピードで自分の中から見つけ出していくのを見て、驚きである。

それは私の言葉が何かを起こしているのではなく、トリガーとして働いてその後は勝手に事が起きているのだと思う。本人の準備はできていて、あとはドミノを倒すだけ。そのドミノが倒れていくのを横で一緒に見ているのだ。

たぶん、その方も長い間にいろいろと苦悩した経験が今を作っている。何事も無駄ではない。

苦しむ人は山の中で高い繁みに囲まれて、それを掻き分けて進む際にはどちらに進んでいるのか、どちらに行ったら良いのかはわからない。

しかし、高見にたどり着いた時に振り返ると確かに自分の進んできた道は正しかったことに気づく。ただ、高見に登るまでは分からない。苦しい時にそんな事を言われても、きっと分からないだろう。

だから、今まさに苦悩する人に伝えられるのは今できる事をできる範囲ですれば良いということと、光がさすタイミングは必ずやってくるということ。

この方と対話していると私自身も癒された。自分が悩み苦しんで得た気づきは誰かに話してもほとんど共感されることはない。人と人とは違っており、完全には共感できないと思ってきた。

しかし、実感としての宇宙感を共感できる人がいるのだというエポックメイキングな事実は別の可能性を示唆する。それは自分の気づいてきたことは正しかったのだと言ってもらったようなもの。こんなにうれしいことはない。

人と人が宇宙感すら共有できるということは、大変大仰な表現ではあるが人類の変革の可能性すら感じる。ファーストガンダムの最終話のクライマックスでアムロはララァに「僕にはまだ帰れる所がある、こんなにうれしいことはない」という。ニュータイプのアムロはララァとは人を越えた形の共感ができた。

しかし、一般人のクルーとも同様の共感ができると感じた。これが後にシャーと決定的に立ち位置の違いを生むことになる。

時間はかかっても人と人は共感ができるようになると信じたアムロ。同じニュータイプでも闇に縛られたシャーアズナブルは魂を地球に魅入られた者たちは変革の可能性がなく滅ぼすしかないと考えた。人類の可能性を信じることは出来なかったのだ。

逆襲のシャーとユニコーンガンダムではこの同じテーマで戦いが繰り返される。人類の変革の可能性を信じる者(光)と信じない者(闇)の戦いである。

これは漫画デビルマンでも、映画スターウォーズでも同様なテーマを織り込まれていると思うし、古くはゾロアスターのアフダマズダの光と闇の戦いも同じだと思う。

私は現在の人と人とは別々の宇宙を持ち、永遠の孤独の牢獄につながれて、完全には理解し合えないと思う一方で、このような共感をできる人と出会うと人類の変革の可能性を感じざるを得ない。もっと広範囲で探せば、そのような感動体験がさらにできるかもしれないと言う希望と共に。

星飛雄馬の猛烈に感動しているというなんともぎこちないセリフが思い出された。