mvとcp 豊かさとは

Linuxを含むUNIXコマンドでmv(move)は移動、cp(copy)はコピーである。豊かさについて考えていた時に降って湧いたお話だが、波動は共鳴をする時にエネルギーは伝播するのだが、移動するわけではない。

豊かさやお金はエネルギーだと言われる。お金は通常取引では移動をする。AさんからBさんに支払われるとお金はAさんの手元には残らない。そんなイメージが一般的ではないだろうか。だからお金は奪い合うモノであるというのがビジネスの基本と考える人も多い。これをなんとか共鳴、つまりコピーにて伝播することはできないか?ということを考えた。これなら豊かさが増えていく。

例えば、音叉があって隣にも音叉があり周波数が同じ場合、片方を叩くともう一方も共振をする。周波数が違う場合は共振はしない。共振する場合にエネルギーが移動するのかといえば、そんなことはない。もし、移動するのであるなら、隣に奪われた分だけ目減りするはずだ。つまり、2つあれば半分に、4つあれば1/4になってしまう。発信元は空気を振動させるエネルギー分は目減りはするが、その空気からの共振はいくつの音叉があっても皆同じように共振をする。現実世界では完全なエネルギーコピーはないにしても、共鳴によるエネルギーの伝播は移動よりも共鳴の方がはるかに効率はいい。

もちろん、1万円札をコピー機で複写して偽札を作ると宇宙の法則は多めに見てくれるがお巡りさんが許してはくれない。そのような方法ではなくて、エネルギーが伝わり、元の所にも残るというのないのか。

音叉の例にもあったが、現実世界ではまったく何かをするのに全くコスト0という訳ではないので、どのようなコストならコピーしたと言って許されるのか?

実際に現実世界でもこのモデルに近いものはある。Youtubeで稼いでいるユーチューバーである。自分でコンテンツを作成をして、1回作ったものを視聴者が視てくれることでお金が薄くではあっても入ってくる。それが膨大になれば、大金が転がり込む。制作者は自分が面白いと思うことを発信をする。それに共感をした人がそれを見る。視聴者は実はそれに痛みは伴わない。制作者に入るお金は広告宣伝費である。視聴者がイチイチお金を払い苦痛が生じるならあそこまでは儲からない。

ユーチューバーが一般の商品販売と違うのは、通常の商品販売は商品を引き渡す代わりにお金を受け取る。商品とお金はmoveする。Youtubeは視聴者は鑑賞するが受け取るのは情報のみだが、さらに満足感が残る、お金も視聴者からユーチューバーには移動しない。そこには奪われる痛みは伴わない。苦にならないのだ。それで世界は満足感の分だけ豊かになる。もちろんだが、お金がどこからか湧いてくるわけではなく、広告というカラクリはある。

お金を奪い合う(Move)の世界ではなく、お金が共鳴(Copy)で伝播する世界とはどういうものなのか?

お互いに共感しあう人の間で、コストとして苦にならない範囲でのお金の移動ならどうだろう。それはいわゆる”おひねり”の世界だ。いいねと言って、出せる分を出してくれる。出す方が苦にならないし。受け取る方は有難い。そして両方の側に満足感が残り、その分世界は豊かになる。もちろん、太宰府天満宮の猿回し興行を見ていてもそういったものは難しい所はある。大きくは稼げる気がしない。そこには実は支払う側の問題もある。お金を出し惜しみする人ばかりの世界ではこれは成り立たない。

豊かな人と、豊かでない人の違いというのは、実は資産の多さではない。資産が多い人でも、もっともっとたくさん欲しいと思う人は出し惜しむ。資産が何千万、何億とあっても心が貧しい人はいる。最低限必要以外は一切お金を支払わず、支払う時も値切りまくる。世の中でコストだコストだと言っている人は正しいけれど豊かな人とは呼び難い。一方で、気に入れば喜んでお金を支払ってくれる人もいる。お客さんとしてどちらが上等かといえば後者である。

激安店に来るお客さんは値段に釣られてやってくるので、何か問題があれば、さらなるディスカウントを求めクレームを入れてくる。やさしさのカケラもないうえに、何かあればスーといなくなる。豊かな人は良いモノ、自分が気に入ったモノであれば、値段も折り合いがつく範囲で出してくれるし、少々待つことも厭わないだろう。個人的な過去の経験でそれは思い知った。

豊かな波動の人とつながって、その人たちが苦にならない”おひねり”を頂ける商売というのをするならば、共鳴でお金が入ってくるということになるのではないか。

実はうちの奥さんがSMAPのファンであった。そのために、随分とSMAPのことは聞かされて、不必要に詳しくなった。アイドルというものについては、比較的”おひねり”の文化に近いところがある。アイドルというのは、実は等身大の本人とは全く違うものであり、キムタクであれば木村拓哉本人を材料にして、さまざまなスタッフが演出をしたり、飾りつけをする。本人もキャラを作っているはずで、素の本人とはたぶん違うだろう。それは、多くの女性たちに夢と希望と満足感を与える仕事にしており、その努力は並大抵ではないに違いない。自分を殺してでもそのキャラを演じ続ける。キムタクさんは比較的早く結婚をしたが、多くのアイドルは結婚すら制限を受けてご活躍をしていた。ジャニーさんがなくなって、それも解禁されたようだが。アイドルに貢ぐ人たちは自分たちは貢いでいるとは思っていない。自分の生きる喜びをもらっているので喜んで払っていると思っている。傍から見てどうよと思う側面はあるが最終的には本人が満足ならそれはいい。特に本人が苦にならない範囲で出せるお金なら、まったく問題はない。

本当に豊かな人とは資産が多い人ではないが、具体的には手元にあるお金よりもこれから入ってくると思っているお金の量に左右される。たとえば、新庄選手が詐欺で全財産を持ち逃げされた際に、彼は自分は今後もお金は入ってくるからとお金の面に関しては心配をしていなかった。ああいう人は本当に豊かである。もちろん、彼は才能があるのだが、自己イメージが大変良いのだろう。自分は恵まれているし、恵まれる星の下に生まれているので、絶対に大丈夫だと思っている。本当に豊かな人というのは、手元にあるお金以上のお金を見ているので、実は目減りすることに恐れを抱いていない。だから、もちろん手元のお金の管理は必要ではあろうが、支払う度に苦は感じない。彼らはお金は目減りしないと信じているだろう。彼らから喜んでお金を払ってもらうということは、コピーでお金が来るようなものである。そういった人たちとつながることができれば、良いわけだ。ただ、その具体的な方法が判れば、私がすでにやっている。(笑)

私個人はまったく真逆で不足感にさいなまれてきた。お金には恵まれたこともあったが、最終的には失ってしまったりした。自分の内面と向き合った際に問題だったのは、自己否定と自分が豊かであることへの否認であった。それを統合をしていく中で、少しづつではあるが、世知辛い世界から抜け出たいと思ってはいる。

皆の心が豊かな人になっていけば、この世界は豊かになる。今の私はそう信じている。