塞翁ってエライ!

前に「空」というものにはオールマイティ感が伴うというお話について私が感じたものは、「何がどうなっても順調である」ということであった。

これはイスラムの「インシャアッラー(すべては神の思し召しのままに)」でもある。すべては、ALL OKですべてをそのまま受け入れる。

二元でない一元の世界に生きる時、良いも悪いも、好きも嫌いもない世界がそこにある。そうであるならば、目の前の出来事に一喜一憂することなく、すべてはOK、大丈夫ということになるだろう。

「人間万事塞翁が馬」と言ったのは准南子という道家だとか。物事には陰と陽が混在する。不幸と思える出来事が幸せなことの原因となり、またその逆も起きるので、一喜一憂する必要などないというお話。

子供の頃に学校で習った時に思ったのは、うれしい時も喜ばず、苦しい時はやせ我慢をするみたいなイメージであった。

道家というのは、元々は仙道であり、仙人を目指す道である。仙人とはやはり悟った人ではないかと思うが、仏教が他の教えと交わった密教を除けば、実践というよりは哲学的、思想的な側面が強いのに対して、仙道・道家というのは気を練り、仙人を目指す。

人間万事塞翁が馬が、子供の頃にイメージしたやせ我慢の勧めでなく、悟りの境地を描いたものではないか、などとインスピレーションが降って涌いた。

なるほど、思ったよりも塞翁はエライのだ。