ソシオパスとサイコパス

最近、ソシオパスという言葉を見る。2年前にサイコパスに興味を持って、本を数冊読んだ時に、ソシオパスという言葉を見た覚えがない。最近の言葉だろうか。

サイコパスとは反社会性パーソナル障害のことだが、先天的に良心や罪悪感がない人々の事を指す。まあ、先天性の場合、何かが障害したのでなく生まれつきの性質である。そういう種族と言える。ソシオパスはやはり反社会性パーソナル障害だが、後天性の人々のことをいう。普通の人がサイコパス化した人だ。

実は以前から疑問に思っていたのが、サイコパス様の人々が犯罪者ではなく、よく見ると通常の社会にも結構な割合で散見される。これらが全部生まれつきなのか?ということだった。

生まれつき以外はサイコパスでないのであれば、つらい経験をして、絶望により、他人への共感性を失った良心のない人々の分類がわからない。それをソシオパスは埋めてくれるので、私は大変納得した。

絶望の記憶により、他人への共感性を失い、良心を失い、息をするように嘘を吐く人々はいると思うのだ。

私がサイコパスに興味をもったのは、私がHSP(繊細さん)なことに関係をする。サイコパス、ソシオパスは人の良い所に付け込んで、いいように相手から搾取を行う。HSPは彼らの絶好の獲物になりやすい。いわば天敵である。HSPにとってサイコパスに近づいて良いことなど何もない。

反省をして心を入れ返るというのは、良心とその派生物の罪悪感がないとできない。良心も罪悪感もない場合は、どんなに罰を受けようが矯正教育を受けても反省のしようがない。そもそも他人へ優しくするという概念を生まれつき持っていないのだ。もし、本当に処置をするなら死刑にするしかない。

一般社会でサイコパスだからと言って殺すわけにいかない。だから、可能な限りそういう人とは距離を取るしか方法がないので、見分け方には大変興味があるわけだ。

サイコパスではないかと思っていた人々の中には過去のトラウマでサイコパス様になったソシオパスもいるという事である。

大変、勉強になりました。