好きと依存性の境界線

通勤帰りに新宿でホストクラブの広告バスにキャッチフレーズ「全員、億越え」と写真があった。

億越えは月間売上か年間売上なのか?などとつまらない事を考えた。月間だとすれば、どれだけ客から巻き上げているんだろうなどと下世話なことを思う。

本を書くほどのキャバ嬢やホストは一晩で何億も売り上げるという。これが営業マンなら凄い営業力である。

さて、ホストやキャバ嬢も、アイドルなどと同じで時には人に生きる喜びを与えるエンターテイメントの仕事であるのは理解している。そういうサービスを必要とする人もいる。

ホストクラブ好きの人からは自分はお気に入りがいて、自分がしたいからしていると言う。思い切り稼いで思い切り使うのが好きらしい。それはそれで素晴らしい。

ホストクラブに限らず、例えばアイドルやミュージカル俳優にしても、ヘビーローテーションすることには、依存性との関連性は避けて通れない。もっと言えば、タバコ、酒、ギャンブル、買い物、コレクター、ドラッグなども同じで、好きの範囲に収まれば良いが、依存症になると身を滅ぼす。

売れっ子はどんなジャンルでも、ファンにどれだけ身を滅ぼさない程度の依存性を持ってもらうかが勝負である。

それが、アンダーグラウンド色の強い分野にいくほど、ファンが身を滅ぼす人が増えるので、危ないイメージがある。ギャンブルやホストクラブはその最右翼であろう。

昨今、自分の好きな事をしよう、自分のあるがままに生きようというムーブメントが目立つ。しかし、好きと依存性には境界線があるのだろうか?

好きも依存も、ベータエンドルフィンやドーパミンの作用による。実はネタはなんでも構わない。でも、生き甲斐には”好き”に関係があるのは間違いない。

楽しいこと、好きな事を、依存せずにやれる方法を見つけ出せれば一番良いのだが。果たして、そんなことができるのか?

人は不完全で落とし穴を持っている。過ぎたるは及ばざるが如しで、常にバランスが要求される。

塩も糖も体には必要だが、取りすぎると体に悪い。悪の元となる生存本能も、生き残りために必要であるが、かといって強すぎると支障がでる。

痛い思いをして、中庸の必要性を学ぶのが人生のひとつの目的であるかもしれない。

そういう意味では、ホストクラブやキャバクラで痛い目に遭わせてくれるのも、世の役にたっているのかもしれない。