パラレルワールドについて

最近の子供は世界線という言葉を当たり前に使うという話を聞いた。小学生の子供は夢の中の別世界とこちらの現実の世界を往来する話を真面目に語るという。

うちの息子たちも世界線という言葉は使うが、異世界やパラレルワールドを普通にあるとは思ってはいないだろう。私自身もパラレルワールドを否定できないとは思うが、完全に腹落ちしている訳ではない。もしかしてとは思ってはいるが。

話を聞いたお母さんもパラレルワールドはあるんじゃないかと思ってはいて、自分の経験で仮説は立てていて、それでも確信はしてなさそう。

彼女が毛染めでよく行くヘアサロンに行った時、美容師から「以前に10cmほどカットした時ですが・・・」と言った時に、おかしいお思ったそうだ。彼女はそのサロンでは一度もカットをしたことはなく、カットは別のサロンに行くらしい。彼女の記憶違いか、美容師の記憶違いか?それともどちらかが別の世界から来たのか?

彼女は眠るとパラレルシフトが起きるのではと考えていると言っていた。

この手のことは私もよくあるのだが、違和感を感じるのはよくわかる。記憶違いがある場合は人はうろ覚えに語るが、こういう時は相手が見てきたように語っているのだが、こちらの記憶とは合ってない。そして、自分の記憶も曖昧ではなかったりする。えー、なんで?と思う。

私の場合だと、私がAさんと会話した時に、彼がちょっとしたことで私に妙に感謝していると語ってくれたことがある。所が1年半ぐらいたってAさんと話していた時に彼はその時の会話を全く覚えておらず、私に感謝していると言っていたことは私ではなく別の人がしたことになっていた。

私は前に聞いた事が非常に印象強かったため、よく覚えていたので、ものすごく違和感があった。Aさんの記憶違いかもしれないが、無かったことになっていたのは正直とてもショックであった。

これはよく記憶違いで済まされることであるのだが、記憶操作があったり、パラレルシフトであったと言われた方がむしろ納得できたりする。だが、それでもパラレルシフトや異世界との行き来が普通に起きているとはそんなには思ってはおらず、それがあると辻褄が合うと考える。

今時の子供がパラレルシフトや異世界との行き来があって当たり前と思っているとすれば、我々とはやはり感覚は違うのだろう。

たしかに最近のアニメでは異世界もの、パラレルワールドもの、タイムリープものがやたらと多い。それの影響もあるのだろうか。天動説と地動説、地球は丸いか、平たいかについてを考えるとわかりやすいが、概念のような簡単には見たり手に取れないものは教育によって形成される。

SFのタイムトラベルについては、昔はタイムパラドックスがあったが、最近ではタイムパラドックスというものは語られ無くなってきている。常識とは時代によって変わっていくものだ。

これも仮説だが、世界はその人の意識が作り出していると私は考えている。常識が変わって行って、集合意識が変わっていくと本当にこの世界にはパラレルワールドや異世界というものある事になるのではないか。

逆に今はあるかもと言われるあの世とか、幽霊、霊界、地獄なんかも、無いことになったりする。手に取れるない、見えない世界と言うものはどうにでもなるものだ。