映画 フォルトゥナの瞳

神木隆之介主演のフォルトゥナの瞳を観た。朝ドラらんまんでタッグを組んだ志尊淳との初共演の作品。

主人公はまもなく亡くなる人が透けて見えてしまう超能力を身につけてしまうという物語。人の生き死にがわかるのは幸せなのか、それとも不幸なのか?

人を観るとたまに黒いモヤが見えるという人に会ったことがある。彼女はある占い師から「あなたは喪の人が見えるのだ」と言われた。喪の人は間も無く亡くなるという。ただ、その彼女は黒いモヤは見るが対象者が死ぬのを確認したことはないという。

第六感の発現の仕方は人によって同じではない。だから、黒いモヤが見えたとしても、それが喪の人として見える人と単に病気の気が見えるだけの人もいるのだから、結果の追跡をしないとそれが何を意味するかはわからないよと彼女にはアドバイスした。(もっとも、病気の気が見えるだけでも、すごい話ではある。)

他に死神が見える人がいるという話を聞いたことがあるが直接あったことはない。人の生き死にが事前にわかる人がいるという話は聞くのだが、実際にそれが検証できている人には残念ながら会ったことがない。そういう意味ではフォルトゥナの瞳は私にとっては単なる物語である。

気をリーディングすると一応人の寿命は出てくるのだが、時間経過によってかなり変化するので、ほとんど役に立たないと個人的には思う。3ヶ月先程度で気が無くなってしまう人を観たことはある。心配はしたが3ヶ月しても亡くなることはなく、普通に生きていた。時間経過で未来は変化するのでそんなものだ。身近で生存5年以内がある時から急に10年以内に変化したのは観たことがある。5年以上は生きたが、できれば10年は生きて欲しかったが残念ながら持たなかった。

それがもしも極直近の未来、例えば1日とかでそれが出た場合はどうなのかと思うことはある。ただ、明日死ぬというリーディング結果が出た経験はなく、また普段から人の生き死になどをリーディングすることはないので、よくわからない。

別の人で「私のお母さんがケンカした(もめた?)人はその後すぐに亡くなるの」という人と会ったことがある。だがそれは超能力というより無意識に人を呪う人であり、かなり危ない人である。人は多かれ少なかれ生霊を飛ばすことはできるが、気分で次第で周囲を呪う人などたまったものじゃない。当の彼女もとても執念深い人でやたらと周囲に念を飛ばしていた。私自身、彼女の機嫌を損ねた途端に頭痛がしたことがあり、真面目に距離を置くことにした。意識的に呪う人もヤバいが、無意識に他人を呪う人はもっと厄介である。

先日、とある友人が言っていたのは、運が悪い人からは離れた方が良いという中に、やはり無意識で人を呪う人からは離れた方が良いと代表例として挙げていた。鑑定した人の中にそんな人がいたらしい。

私もつくづくそう思う。